「うれしいのか、悲しいのか、自分でもよくわからない」
そんなふうに感じたことはありませんか? あるいは、周囲の人から「感情がないみたい」「何を考えているかわからない」と言われ、戸惑った経験があるかもしれません。
もしかすると、そうした状態は「失感情症(アレキシサイミア)」と呼ばれる特徴に関係しているかもしれません。これは、感情を感じる力や言葉にする力が弱くなってしまう心理的な状態を指します。
本記事では、「失感情症とは何か?」をやさしく解説しながら、原因や向き合い方を3章構成でご紹介します。ご自身や大切な誰かを理解する一助になれば幸いです。
第1章:失感情症とは何か?心の声が聞こえにくくなる状態
「失感情症」という言葉に、どこか不安を感じる方もいるかもしれません。
「感情を失った」という言葉の印象が強く、「自分はおかしいのでは…」と心配になることもあるでしょう。
でも、失感情症は決して「感情がない」わけではありません。大切なのは、感情を感じにくい・表現しづらい状態があるということを知り、そこから少しずつ自分の心と向き合っていくことです。
この章では、失感情症の定義や症状、脳との関係などをやさしく紐解いていきます。
● 失感情症(アレキシサイミア)とは
失感情症(しつかんじょうしょう)は、心理学や精神医学の分野で「アレキシサイミア(Alexithymia)」と呼ばれ、自分の感情をうまく認識・言語化・共有することが難しい状態を指します。
これは正式な病名というよりは、「特徴」「傾向」として理解されており、診断名という形では精神疾患の分類(DSMやICD)には明記されていません。
しかし、臨床現場では発達障害、うつ病、PTSDなどさまざまな心理的課題とともにみられることがあり、カウンセリングや治療において重要な視点になります。
● 主な症状と行動特徴
失感情症の方がよく経験する傾向には、以下のようなものがあります。
よく見られる傾向 | 説明 |
---|---|
感情を言葉にしにくい | 自分の「怒り」「悲しみ」「喜び」などがうまく表現できない |
身体症状に気を取られやすい | 精神的ストレスを言語化できず、代わりに「お腹が痛い」「息がしづらい」など体の不調を訴える |
空想や想像が乏しい | 心の中でイメージを広げたり、夢想することが少ない |
他者との感情共有が難しい | 共感や感情のやり取りに苦手意識を持ちやすく、誤解を招くことも |
こうした特徴がすべて当てはまるわけではありませんが、「自分の気持ちが自分でもよくわからない」と感じることが続くと、人間関係にも影響が出てくることがあります。
● 感情が“ない”のではなく、“わかりにくい”だけ
失感情症の最も大きな誤解は、「感情がない人」と思われてしまうことです。
しかし実際には、感情そのものは存在しており、ただ意識に上がりづらい・うまく表現できないだけなのです。
たとえば、イライラや不安を感じていても、「自分はいま怒っている」と気づけなかったり、「なんだかモヤモヤする」といった漠然とした状態で止まってしまったりします。
その結果、相手との意思疎通がうまくいかず、誤解や孤立を深めることもあるのです。
● 脳との関係:前頭前野と扁桃体の働き
失感情症の背景には、脳の働きが関係していると考えられています。
特に注目されるのは、「感情のブレーキ役」として知られる前頭前野と、「感情の司令塔」である扁桃体(へんとうたい)です。
前頭前野が過度に感情を抑えたり、扁桃体の活動が鈍くなっていると、感情を感じ取る・判断する能力が弱まりやすくなるのです。
また、右脳と左脳の連携が不十分な場合にも、感情を「言葉」に置き換える力が低下するとも言われています。
● 誰にでも起こり得る状態
失感情症は「特別な人」だけに起こるものではなく、ストレスやトラウマ、育ち方などの環境によって一時的に表れることもあります。
特に、日本の文化では「感情を抑えること」が美徳とされる場面も多く、知らず知らずのうちに自分の感情にフタをしてしまうこともあるのです。
その意味で、失感情症は「自分を守るための心の防衛機制」として捉えることもできます。
大切なのは、その仕組みを知り、少しずつ感情との向き合い方を学んでいくことです。
- 失感情症とは、感情を認識・表現する力が弱まる状態のこと
- 「感情がない」のではなく、「感じにくくなっている」「言葉にしづらい」状態
- 身体症状や人間関係の問題として現れることもある
- 脳の働き(前頭前野・扁桃体)や文化的背景も影響
- 誰にでも起こり得る特徴であり、自分を守る仕組みともいえる
失感情症は決して「特別な病気」ではなく、環境やこころの防衛反応として誰にでも生じる可能性があります。
では、なぜ感情を感じる力が弱まってしまうのでしょうか?
次の章では、「失感情症の原因や背景」に焦点を当てて解説します。
子ども時代の環境、ストレスやトラウマ、発達特性との関係など、多面的な視点から紐解いていきます。
原因を知ることは、「責めるため」ではなく、「理解し、優しく向き合うため」の第一歩です。自分や大切な人のこころを見つめるヒントとして、ぜひ読み進めてみてください。
第2章:なぜ感情を感じにくくなるのか?失感情症の背景と原因
「自分の気持ちがわからないのは、自分が冷たい人間だから?」
そんなふうに、自分を責めてしまう方は少なくありません。でも、失感情症の背景には、性格ではなく過去の経験や脳の働き、心理的な防衛反応など、いくつもの要因が関係していることがわかっています。
この章では、失感情症がどのようなメカニズムで起こるのか、原因として考えられているポイントをやさしく解説していきます。
「なぜ自分は感情を感じづらいのか?」という疑問に対して、少しでも安心して向き合えるヒントになりますように。
● 幼少期の環境:感情表現を「学べなかった」子ども時代
感情は、成長の中で「学んでいくもの」でもあります。
たとえば、小さいころに親や周囲の大人から「泣かないの!」「怒っちゃダメ!」と繰り返し言われて育つと、子どもは「感情を出すことは悪いこと」と学習してしまいます。
また、家庭内に感情的なやり取りが少ない場合、「気持ちを言葉にする方法」そのものを身につけにくいことがあります。
・親が感情を表現しない
・感情に関する会話がない
・常に理性的・厳格な態度で接されていた
こうした環境では、感情が湧いてもどう扱っていいのかわからず、やがて感じること自体が難しくなっていくことがあるのです。
● トラウマや強いストレス:感情を感じないことで自分を守る
もうひとつの重要な要素は、過去のつらい経験やトラウマです。
大きな心的ストレスにさらされたとき、人は「これ以上傷つかないようにするため」に感情を感じないようシャットダウンすることがあります。
たとえば、
- いじめや虐待、事故、突然の喪失などのトラウマ
- 長期的な過度のストレス(家庭内不和、厳しい職場環境など)
- 子ども時代の情緒的なネグレクト(心のケアがない状態)
こうした体験は、無意識のうちに「感情=危険」と脳が認識するようになり、感情そのものを遠ざける傾向を強めていきます。
このような防衛反応は、当時の自分にとっては生き延びるための知恵だったともいえます。
● 発達特性との関連:ASDやADHDとの併存も
失感情症は、ときに発達特性と深く関係していることがあります。
特に、自閉スペクトラム症(ASD)を持つ方は、感情の認識や共感、非言語的なコミュニケーションが苦手とされており、失感情症の傾向が強く見られることがあります。
- 自分の内面に注意を向けるのが難しい
- 他人の表情や感情の変化を読み取りにくい
- 感情よりも論理的・事実的に物事をとらえる傾向が強い
また、ADHDなど注意のコントロールに課題を抱える場合も、感情の波を言葉にするプロセスがうまく機能しづらくなることがあります。
ただし、発達障害がある=失感情症というわけではなく、それぞれの個性の中で感情との付き合い方に「クセ」が出やすいと考えると、理解が深まります。
● うつ病やPTSDなど、他の精神疾患と併存することも
失感情症の傾向は、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神的な病状の中でもしばしば見られます。
うつ病では、感情が「鈍くなる」「空虚に感じる」「楽しみがわからない」といった状態が長引くことがあります。
また、PTSDでは、過去のつらい記憶に触れないようにするために感情を遮断するような反応(感情麻痺)が起こることもあります。
こうした背景がある場合、失感情症は「単独で起こる特徴」ではなく、他の症状の一部として現れるサインであることもあります。
● 文化や性別の影響:日本社会の「感情抑制」文化
日本社会では、「空気を読む」「感情をあまり表に出さない」ことが美徳とされがちです。
特に男性の場合、幼いころから「泣くな」「男なんだから我慢しろ」と言われて育つケースが多く、感情を言語化する練習をする機会が少ないまま大人になることも。
こうした社会的な価値観も、失感情症のような傾向を助長する要因になりえます。
つまり、感情を「抑えること」が当たり前になっている環境では、感情に気づく力そのものが育ちにくくなってしまうのです。
- 幼少期の環境や育ち方が、感情の扱い方に影響する
- トラウマや長期的なストレスが感情を閉ざす原因になる
- 発達特性(ASD・ADHDなど)と併存することがある
- うつ病やPTSDの一部として現れるケースもある
- 日本社会の文化や性別の価値観も、感情抑制の要因となりうる
失感情症の背景には、成育歴やトラウマ、発達特性など、さまざまな要素が絡み合っています。
それは、自分のせいでも、誰かのせいでもありません。
むしろ、そうした「心の仕組み」に気づけたことは、自分自身を大切にするための第一歩です。
では、そんな失感情症と、どう向き合っていけばいいのでしょうか?
次の章では、感情を取り戻すためのヒントや、カウンセリング・セルフケアの方法についてご紹介します。
少しずつ、自分の心の声に耳を澄ませていく方法を一緒に探っていきましょう。
第3章:失感情症との向き合い方と改善へのヒント
「どうすれば、もっと自分の気持ちをわかるようになるんだろう…」
失感情症と向き合おうとする中で、そう感じることは自然なことです。すぐに感情を取り戻すことは難しいかもしれませんが、少しずつ“こころの感度”を取り戻していく方法は存在します。
この章では、感情とのつながりを深めるためのステップや、臨床で活用されている心理療法、日常生活でできるセルフケアについてご紹介します。
ご自身のペースで、無理なく「心と対話する力」を育てていきましょう。
● 最初の一歩:「気づく」ことから始めてみる
感情を取り戻すための第一歩は、「気づこう」とする姿勢です。
「今、私は何を感じているのかな?」と、日常の中で意識してみるだけでも、心のセンサーは少しずつ反応し始めます。
たとえば、
- 朝起きたときに「今日の気分はどうだろう」と自分に問いかけてみる
- 何か出来事があったとき、「どんな気持ちが湧いたか」を立ち止まって考えてみる
- 感情のリストや語彙カードを使って、自分の感情に名前をつけてみる
最初は曖昧でも構いません。「なんとなくもやもやする」「少しそわそわする」といった感覚レベルの言葉からスタートしても十分です。
● 「感情日記」や「ムードログ」で記録してみる
感情に気づく練習として有効なのが、「感情日記」や「ムードログ」です。
これは、1日の終わりに、以下のような項目を簡単にメモするという方法です。
日時 | 出来事 | 感情(単語) | 体の反応 | 思ったこと |
---|---|---|---|---|
7/25 | 同僚に声をかけられた | 緊張、不安 | 胃が重い感じ | うまく返せなかった |
こうした記録を続けていくと、自分の感情のパターンや体とのつながりが少しずつ見えてきます。
あえてポジティブな感情にも目を向けることで、「楽しかった」「ほっとした」といった感覚も取り戻しやすくなります。
● カウンセリングで「感情を育てる」
自分だけでの取り組みが難しいと感じる場合は、専門家によるカウンセリングや心理療法のサポートが有効です。
失感情症に対して用いられる代表的なアプローチには、以下のようなものがあります。
- 感情焦点化療法(EFT):感情の識別と表現を安全な場で育てていく療法
- マインドフルネス認知療法(MBCT):今この瞬間の感覚に意識を向け、感情に気づく力を養う
- 認知行動療法(CBT):考え方と感情・行動のつながりを見直す方法
どの方法でも共通して大切なのは、「安全で安心できる対話の場」があることです。
一人では言葉にできなかった感情も、信頼できる相手との対話の中で少しずつ形になっていくことがあります。
● セルフケアとして取り入れたい習慣
日常生活の中でも、感情とのつながりを強めるヒントはたくさんあります。
✅ 五感に意識を向ける
- お気に入りの音楽を聴く
- おいしいと感じる食事を味わう
- 好きな香りに包まれる
五感の体験は、「こころ」と「からだ」の架け橋になります。
✅ 身体の緊張に気づく・ゆるめる
- 深呼吸やストレッチ
- ヨガやウォーキング
- ぬるめのお風呂にゆっくりつかる
「体の感覚に気づく」ことが、感情への入り口になることもあります。
✅ 表現する時間をつくる
- 絵を描く、文字にする、声に出す
- 自分だけのノートに自由に書き綴る
- 誰かに「今こんな感じなんだ」と伝えてみる
最初はうまく表現できなくても、続けていくうちに心の輪郭が少しずつ浮かび上がってきます。
● 他者との関係性を見直す
失感情症の方は、他者とのコミュニケーションで誤解されやすいという悩みを抱えることもあります。
自分が感情を表現しないことで、「冷たい人」「何を考えているのかわからない」と言われてしまった経験があるかもしれません。
でもそれは、あなたに感情がないからではありません。伝える方法をまだ見つけられていないだけなのです。
大切な人に、自分の状態を少しずつ説明してみることで、関係性が変わってくることもあります。
- 「気持ちをうまく言葉にするのが難しい」
- 「感情に気づくのに時間がかかることがある」
こうした言葉を使って、相手と「感情のペース」を合わせる努力を始めるだけでも、大きな一歩です。
- 感情を理解する第一歩は、「気づこうとする意識」から
- 感情日記やムードログで日々の気持ちを記録すると効果的
- 心理療法(EFT、CBT、マインドフルネス)で感情表現を育てる支援が可能
- 五感への気づきや体をゆるめる習慣も感情とのつながりを深める
- 他者と感情のペースをすり合わせることで、関係性の誤解が減っていく
失感情症は、「感情がない人」ではなく、「感情がわかりにくい状態にいる人」です。
それは、こころが自分を守るためにとった自然な反応かもしれません。
でも、気づきの力、言葉の力、感覚の力を少しずつ取り戻すことはできます。
今のあなたに必要なのは、「ちゃんと感じなくちゃ」と焦ることではなく、
「ちょっとずつ、自分に寄り添ってみよう」と思う優しいまなざしです。
ご自身のこころに向き合うその姿勢こそが、何よりも尊い一歩です。
この記事が、そのお手伝いになれたなら嬉しく思います。