「鏡を見るのが怖くてたまらない」「自分の顔が変だと思って、外に出られない…」。
その悩みは、単なる「コンプレックス」だからではないかもしれません。
「醜形恐怖症」という、大きな苦痛や生活上の支障が生じている状態なのかもしれません。
でも、安心してください。あなたを苦しめるその「囚われ」から抜け出すための、科学的で優しい方法があります。
それが「認知行動療法(CBT)」です。
この記事では、あなたの心が少しでも軽くなるように、認知行動療法がどのようにあなたの力になってくれるのか、専門家の視点から分かりやすくお伝えします。
醜形恐怖症(身体醜形障害/BDD)と認知行動療法の関係|なぜ外見の悩みに脳や心からアプローチするのか
「鼻の位置がおかしい」「肌の凹凸が耐えられない」——そんな思いに一日中囚われ、鏡を見るのが止まらなかったり、逆に怖くて鏡を見られなくなったりしていませんか?
醜形恐怖症(BDD)は、周囲からは「気にしすぎ」と言われがちですが、ご本人にとっては辛い心の苦しみです。
なぜ見た目の問題に対して、「思考」や「行動」へのアプローチである認知行動療法が有効なのか、その医学的な背景と回復へのメカニズムを紐解いていきましょう。
醜形恐怖症とは?単なる「外見の悩み」との違い
「自分の容姿に自信がない」という悩みは、多くの人が経験するものです。
しかし、精神医学における醜形恐怖症(身体醜形障害/BDD)は、単なるコンプレックスとは明確に異なります。
最新の診断基準であるDSM-5-TRやICD-11において、この疾患は「強迫症および関連症群」に分類されています。
つまり、その本質は「見た目の美醜」ではなく、「こだわり(強迫観念)」と「繰り返される行動(強迫行為)」にあるのです。
具体的な診断のポイントは以下の通りです。
- 些細な、あるいは他人には目立たない外見上の欠点への没頭: 他人から見れば全く気にならない、あるいは存在しないような外見上の欠点に対して、長時間を費やして悩み、苦痛を感じている。
- 反復的な行動: 鏡で頻繁にチェックする、過度に身繕いをする(整容が止まらない)、自分の容姿を他人と比較する、あるいは他人から「大丈夫だよ」と言ってもらうこと(保証)を繰り返し求める。
- 著しい苦痛と機能障害: 悩みのせいで仕事や学校に行けなくなる、対人関係を避ける(引きこもり)、整形手術を繰り返しても満足できないといった、生活への重大な支障が出ている。
ICD-11では、外見上の欠点への持続的なとらわれと、それに伴う確認・比較・修正行動、そして苦痛や生活上の支障が重視されます。人によっては、他人の視線や評価への過敏さが強くなることもあります。
多くの患者さんは、自分の見た目を「客観的に醜い」と信じていますが、他人からはそのように見えず、どうしてそんなに「醜い」という自己評価になるのか、他人からは理解できないものです。
この「現実の容姿」と「主観的な認識」のギャップこそが、治療の焦点となります。
なぜ「認知行動療法」がBDDの治療法のひとつとされるのか
醜形恐怖症の治療には精神療法、薬物療法、心理療法などがあり、心理療法として認知行動療法(CBT)(特に曝露反応妨害法(ERP)を含むもの)の有効性が示されています。
美容整形手術が根本的な解決になりにくい一方で、なぜ対話によって行動の変容を促すCBTがこれほどまでに効果的なのでしょうか。
それは、BDDが「認知(ものの捉え方)」と「行動(繰り返してしまう習慣)」の悪循環によって維持されているからです。
- 認知の歪みを整える: BDDの方は、自分の価値を「特定の部位が完璧であるかどうか」に結びつけてしまう傾向があります。
- これを「過度な一般化」や「全か無かの思考」と呼びます。CBTでは、こうした極端な思考の癖を特定し、それをより柔軟で現実的な視点へと再構成していきます。
- 悪循環の維持行動を止める: 鏡を見る、醜いと思っている部分を隠す、整形手術を計画するといった行動は、一時的には不安を和らげますが、長期的には「外見への執着」を強化してしまいます。
- CBTの技法の一つである「曝露反応妨害法(ERP)」を用いることで、不安に直面しながらも、これまでの「安全行動(確認する・隠す)」をあえて行わない練習を積み重ねます。これにより、脳が「確認しなくても大丈夫だ」という新しい学習をし、思考の癖を上書きしていくのです。
重症度にもよりますが、CBTは単独でも高い改善率を示すことが報告されています。
また、治療終了後の再発率が低いこともCBTの特徴のひとつです。
患者さんは治療を通じて「外見を変える技術」ではなく、「悩みとうまく付き合い、障害されていた日常生活を取り戻す技術」を習得するのです。
脳の仕組みから見る、視覚情報の「歪み」と「執着」
なぜBDDの方は、鏡の中に「醜い自分」を見てしまうのでしょうか。
近年の脳科学的な研究により、BDDの方の脳では視覚情報の処理プロセスに特徴があることがわかってきました。
通常、人は顔や体を見る際、全体のバランスや雰囲気を捉える「全体処理」を優先します。
一方、まだ研究途上ではありますが、BDDでは、顔や体の全体像よりも細部に注意が偏りやすい可能性や、視覚・感情処理に関わる脳ネットワークの特性が示唆されています。

- 情報のフィルター: 脳が情報を処理する際、全体を見る機能が弱まり、肌の毛穴一つ、左右の数ミリの差といった「細部」にスポットライトが当たっている状態です。
- 感情の過活動: 自分の顔を見た際、恐怖や嫌悪を司る「扁桃体」が過剰に反応し、論理的な判断を行う「前頭前野」との連携がスムーズにいかなくなります。
つまり、「自分の顔が醜く見える」のは、視力の問題でも性格の問題でもなく、脳の視覚処理のシステムが「細部特化モード」になってしまっている可能性があるのです。
認知行動療法で行う「注意転換トレーニングを含めた構造化介入」は、この脳の癖を矯正し、再び全体をバランスよく見る力を養う訓練でもあります。
自分の脳の特性を理解することは、「私がダメだから悩むのだ」という自己否定から脱却する第一歩となります。
- 醜形恐怖症(BDD)の本質: 単なる外見の悩みではなく、強迫的な確認と行動を伴う精神疾患。
- 診断基準: DSM-5-TRやICD-11では「強迫症および関連症群」に分類され、日常生活への支障が重視される。
- CBTの有効性: 「認知の歪み」と「維持行動」の悪循環を断ち切ることで、根本的な回復を目指す。
- 脳の特性: 視覚処理が「細部」に偏りすぎて、全体を捉える機能が低下している可能性が指摘されている。
BDDのメカニズムを理解したところで、次は「具体的にどのように治療を進めていくのか」という実践的なステップへ進みましょう。
認知行動療法は、「魔法」のように一瞬で悩みを消し去るものではありませんが、着実に一歩ずつ、鏡の前の自分との付き合い方を変えていく「ロードマップ」になり得ます。
醜形恐怖症に対する認知行動療法の具体的なステップ
醜形恐怖症の治療において、認知行動療法(CBT)は「心の筋トレ」のような役割を果たします。
長年にわたって築き上げられた、「鏡を何度も見る」「自分の欠点ばかりを探す」といった自動的な反応を、一つひとつ丁寧に紐解き、新しい習慣に置き換えていくのです。
ここでは、多くの専門機関で採用されている標準的な4つのステップをご紹介します。
これらは、あなたが再び自分らしく社会と繋がるための大切な地図となります。
ステップ1:自分の「思考の癖」と「安全行動」をモニタリングする
治療の第一歩は、自分を苦しめている「パターン」に気づくことです。これをセルフモニタリングと呼びます。
BDDの方は、無意識のうちに特定の思考や行動を繰り返してしまいますが、まずはそれを客観的なデータとして記録していきます。
- 自動思考の特定: 鏡を見た瞬間や、誰かとすれ違った瞬間などに、ふと頭に浮かぶ「やっぱり私は化け物だ」「相手は私の鼻を笑っている」といった極端な考え(自動思考)をメモします。
- 安全行動の可視化: 不安を和らげるために行っている「鏡での確認」「長時間にわたる厳重な化粧」「髪で顔を隠す」「ネットで整形手術の情報を検索し続ける」といった行動を洗い出します。
これらの行動は、一時的には安心感を与えてくれますが、実は「外見へのとらわれ」という苦しみに拍車をかけている側面があります。
まずは「自分がいつ、どんな状況で、どのような行動をとっているのか」を把握することで、変化のための土台を作ります。
ステップ2:曝露反応妨害法(ERP)|鏡チェックや隠す行為をあえて止める
モニタリングで自分のパターンが見えてきたら、次は曝露反応妨害法(ERP)という非常にパワフルな技法に取り組みます。
これは、BDD治療の核心部分です。
- 曝露(エクスポージャー): あえて不安を感じる状況に身を置くことです。例えば「マスクを外して短時間だけコンビニに行く」「少しだけメイクを薄くする」といった課題を設定します。
- 反応妨害: 不安に襲われたとき、これまでの「安全行動」をあえて行わないことです。「鏡を見て確認したい」「すぐにメイクを直したい」という強い衝動を、一定時間(例えば5分から10分)我慢します。
反応妨害では、一時的に不安が高まりますが、時間経過とともにその不安は少しずつやわらいでいきます。その様子もモニタリングしていきます。これを繰り返すと、脳は「安全行動をとらなくても(鏡を確認しなくても)、恐れていた最悪の事態(誰かに指を指される、人生が終わるなど)は起きない」ということを学習します。
これを心理学用語で「馴化(じゅんか)」と呼びます。津波のような不安が、ピークを過ぎれば自然と引いていく感覚を体で覚えることが目的です。
ステップ3:認知再構成法|「醜い→価値がない」という価値観を解きほぐす
行動を変えるのと並行して、CBT では心の奥底にある「信念」にもアプローチします。これが認知再構成法です。
BDDの方は、自分の価値が100%容姿に依存しているという、極端な価値観に支配されていることが少なくありません。
- 証拠を探す: 「私は醜いから誰にも愛されない」という考えに対し、「それを裏付ける証拠」と「反論する証拠」を客観的に並べてみます。
- 適応的な考えを見つける: 「醜いか、美しいか」という二極化された視点から、「人間には多様な側面があり、容姿はその一部に過ぎない」といった、より現実的でバランスの取れた考え方に修正していきます。
ここでは、自分を無理に「美しい」と思う必要はありません。
「美しくなくても、私は私の人生を歩む権利がある」という、自己受容の感覚を育んでいくことが大切です。
ステップ4:注意転換トレーニング|細部ではなく全体を見る練習
最後のステップは、視覚的なアプローチです。
前章で触れた通り、BDDの方の脳は「細部ばかりを凝視するモード」になっている可能性があります。これを注意転換トレーニング(ATT)で修正します。
- 鏡の使い方の再学習: 鏡を見る際、気になる毛穴や数ミリのズレを凝視するのではなく、あえて数歩下がって「自分という一人の人間」の全体像をぼんやりと眺める練習をします。
- 外部への注意: 自分の内面の不安や顔の感覚に集中しすぎている注意を、外側の世界(鳥の声、周囲の風景、会話の内容など)へ意識的に向ける練習です。
「どこを見たくないか、見られたくないか」ではなく、「どこに注意を向けるか」を自分でコントロールできるようになることで、外見への執着から自由になる時間を増やしていきます。
- ステップ1(モニタリング): 自分の思考と、不安を紛らわすための行動を客観的に記録する。
- ステップ2(ERP): あえて不安な状況に飛び込み、いつもの「確認行動」を止めて耐える練習をする。
- ステップ3(認知再構成): 「容姿=人間としての価値」という極端なルールを、より柔軟な視点へと書き換える。
- ステップ4(注意転換): 細部へのこだわりを捨て、全体を眺める練習や外部へ意識を向ける訓練を行う。
これらのステップを読み、「自分一人でやるのは難しそう」と感じたかもしれません。
その感覚は非常に正当なものです。
BDDの認知行動療法は、専門家のガイドがあってこそ安全かつ効果的に進められるものです。
次章では、治療を成功させるための重要なポイントとして、専門家との関わり方や、薬物療法との組み合わせ、そして「焦り」との向き合い方について解説します。
回復へのスピードは人それぞれ。
あなたにとって最適なサポート体制をどう築くべきか、一緒に考えていきましょう。
認知行動療法を成功させるためのポイントと注意点・薬物療法の補助
認知行動療法(CBT)は、醜形恐怖症の治療において、非常に有効な治療法です。
しかし、この治療は単なる「ポジティブ思考の練習」ではありません。
長年作り上げられてきた「外見への囚われ」という脳の回路を、少しずつ書き換えていく地道な作業です。
治療をスムーズに進め、再発を防ぐためには、いくつか押さえておくべき重要なポイントがあります。
これらを知っておくことで、治療中の挫折を防ぎ、より確実に回復への道を歩むことができるようになります。
一人で頑張りすぎない|専門家(臨床心理士・精神科医)のサポートの重要性
醜形恐怖症を抱える方の多くは、「自分の悩みは浅はかなものではないか」「見た目を気にするなんて恥ずかしい」という自責の念から、一人で抱え込み、自力で解決しようと努力しがちです。
しかし、最新の診断基準であるDSM-5-TRやICD-11においても、この疾患は「強迫症および関連症群」に分類されており、単なる性格の問題ではなく、専門的な介入が必要な精神疾患として定義されています。
専門家(精神科医や臨床心理士)との協働が不可欠な最大の理由は、自分一人では「安全行動の罠」に気づきにくいという点にあります。
安全行動とは、鏡で何度も顔を確認したり、厚化粧で欠点(と思っている部分)を隠したり、SNSの加工アプリで外見を補正したりして、安心を得ようとする行為を指します。
これらは一時的に不安を和らげますが、実は長期的にはかえって「外見への執着」を強める強化因子となってしまいます。
治療の場では、専門家が客観的な鏡(フィードバックの源)となり、あなたがどのような「認知の歪み」に陥っているかを優しく指摘します。
例えば、「他人は自分の欠点を注視している」という自己参照的な思い込みを和らげ、より現実的で柔軟な視点へと導いていきます。
このプロセスを一人で行うと、どうしても自分への批判的な声が勝ってしまい、症状を悪化させることがあります。
治療を成功させる秘訣は、「治療者という伴走者」に心の内をさらけ出し、二人三脚で挑む姿勢にあります。
薬物療法(SSRIなど)との併用による相乗効果
認知行動療法は非常に有効ですが、症状が重く、不安が強すぎてワークに取り組むことさえ難しい場合があります。
そのような時に検討されるのが、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を中心とした薬物療法です。
精神医学的なエビデンスによると、醜形恐怖症の背景には、脳内の神経伝達物質であるセロトニンの調整不全が関与していることが示唆されています。
BDDに伴う強い不安、とらわれ、抑うつ症状などを和らげる目的でSSRIが選択されることがあります。病態は単一の神経伝達物質だけで説明できるわけではありませんが、BDDにおいて、SSRIは有効性が示されているのです。
「薬に頼るのは負けだ」と感じる必要はありません。
薬物療法はいわば、荒れた海を鎮めるような役割を果たします。
海が穏やかになれば、認知行動療法という「船」を操縦しやすくなります。
実際にNICEなどの疾患治療ガイドライン等において、重症度に応じて薬物療法とCBTの併用が推奨されています。
薬物療法によって不安や強迫的な思考が和らぐと、CBTの課題に取り組みやすくなり、その結果、自己肯定感を底上げする一助になるとも言えます。
脳の生物学的な基盤を整えることで、鏡を見た瞬間に沸き起こる激しい動悸やパニック反応が緩和され、結果として「今日は鏡を見ずに外に出られた」という成功体験を積み重ねやすくなるのです。
この相乗効果こそが、症状克服への近道となります。
短期間で結果を求めず、スモールステップで進める
認知行動療法を始めると、早く楽になりたい一心で、一気に高いハードルを越えようとしてしまう方がいます。
例えば、長年マスクが手放せなかった人が、いきなりノーメイクで人混みへ行こうとするような計画です。
しかし、急激すぎる挑戦は「やっぱりダメだった」という挫折感を生み、かえって症状を悪化させる原因になります。
CBTを成功させる鍵は、「不安階層表」に基づいたスモールステップの積み重ねです。
これは、自分が不安に感じる状況を0点から100点で数値化し、「少しだけドキドキするけれど、頑張れば耐えられる」という点数の課題から挑戦していく手法です。
- ステップ1:部屋の中だけで、鏡を見る回数を1回減らす。
- ステップ2:近所のコンビニまで、少しだけメイクを薄くして行ってみる。
- ステップ3:友人と会うとき、髪型を確認する回数を決める。
このように、小さな「できた」を積み重ねることで、脳は「外見が完璧でなくても、恐れていたような破滅的なことは起きない」という事実を学習していきます。
このプロセスは、筋トレに似ています。一朝一夕に筋肉がつかないのと同様に、思考の癖も数ヶ月単位でじっくりと育てていく必要があります。焦らず、自分のペースを守ることが、結果として最も早い回復につながるのです。
- 専門家のサポートを借りる: 独力では気づけない「安全行動」や「認知の歪み」と向き合うため、医師や心理士を頼ることが成功への近道です。
- 薬物療法を賢く併用する: SSRIなどは脳の不安を鎮め、認知行動療法のワークに取り組みやすくするための「土台」を作ってくれます。
- スモールステップを徹底する: 短期間での劇的な変化を求めず、不安階層表を用いて「小さな成功体験」を積み重ねることが、再発を防ぐ鍵となります。
認知行動療法の「費用」と通院の目安
治療を検討する上で、金銭面や期間の負担は無視できない現実的な問題です。
- 保険診療と自費診療: 時間をかけてじっくり行うCBTは、医療機関によって「保険適用の範囲内(通院精神療法)」で行われる場合がありますが、日本の保険診療では「認知療法・認知行動療法」として算定要件が定められており、対象疾患や施設基準、実施者要件から常に保険適用で実施できるとは限りません。
保険診療のCBTと異なり、条件面での制約受けない「自費(費用は様々)」で行われるCBTもあります。 - 治療期間の目安: 保険適用のCBTのプログラムは、上限16回という制約があります。
自費のCBTプログラムは一定期間の構造化プログラムで行われることが多いですが、実際の回数・継続期間はその方の重症度や目指すゴールに応じて個別に調整され、数ヶ月から1年ほどかけて、じっくりと脳の癖に取り組むことがあります。
費用については、事前にクリニックのWebサイトを確認するか、初診時に「CBTを希望しているが、費用はどのくらいかかるか」と率直に質問することをお勧めします。
美容整形手術を考える前に知っておいてほしいこと
「この鼻の歪みさえなければ」「この目元さえ修正できれば、人生のすべてがうまくいくはずだ」——。
鏡の前でそう願い、美容整形手術の相談予約を検討している方は少なくありません。
しかし、もしあなたが醜形恐怖症(BDD)の苦しみの中にいるのであれば、メスを入れる前に、少しだけ立ち止まってこの記事を読んでいただきたいです。
美容整形手術は「物理的な形状」を変える手段ですが、あなたの苦しみは「脳の認識(認知)」の領域から生じているものかもしれないのです。BDDの苦しみは、外見そのものだけでなく、外見の受け取り方、確認や回避の行動、不安や自己評価の問題が複雑に絡み合って生じます。
最新の精神医学的知見に基づき、なぜ美容整形手術が期待通りの救いになりにくいのか、その本質的な理由を紐解いていきます。
なぜ美容整形手術をしても満足感が得にくいのか
美容整形手術を受けた醜形恐怖症の患者さんのうち、術後に心から満足し、症状が消失するケースは極めて稀であることが、多くの研究で示されています。
それどころか、術後に「以前より悪化した」「別の部位が気になり始めた」と訴える方が多いという報告があります。
なぜ、物理的な欠点が修正されたはずなのに、満足感が得られないのでしょうか。
その理由は、この疾患の核心が「脳の視覚情報の処理プロセス」に起因するからである、という見方があります。
DSM-5-TRやICD-11においても、醜形恐怖症は、実際には存在しないか、あるいは他人からは微細に見える(あるいはわからない)欠点に対する過度な囚われと定義されています。
脳内で、顔の全体像を捉える機能が弱まり、特定のパーツのみを顕微鏡で覗き込むように細部(ディテール)だけを過剰に拡大して処理する「偏った認知」が起きている可能性があります。
そのため、手術によって形が変わっても、脳はその「新しい形」の中に再び微細な左右差や不完全さを見つけ出してしまいます。
結果として、「整形したのにまだ変だ」「医者が失敗したのではないか」という新たな不安が生まれ、複数の医療機関を受診して修正を求め、整形手術を繰り返す行動につながる可能性があります。
満足感の欠如は、あなたの「欲」の問題ではなく、脳の認知機能が引き起こしている「症状」である可能性を理解することが大切です。
美容外科医と精神科医の連携が必要な理由
現在、美容医療の文献では、BDDが疑われる患者さんに対しては、安易に施術へ進まず、精神科的評価やメンタルヘルス面の確認を行う重要性が指摘されています。
これは、患者さんの希望を否定するためではなく、患者さんの「真の利益」を守るためです。
もし、精神科医との連携がないまま手術が行われた場合、術後の仕上がりに納得がいかない患者さんは、激しい自己嫌悪や抑うつ状態に陥るリスクがあります。
また、美容外科医側も、医学的に完璧な処置をしたにもかかわらず、患者さんの苦痛が消えないという「治療のミスマッチ」に直面します。
精神科医と美容外科医が連携することで、まずは認知行動療法や薬物療法(SSRI)によって「外見への囚われ」のトーンを下げることが可能になります。
心が安定し、脳機能としての認知の歪みが和らいだ状態で初めて、「本当にこの手術が必要か」「手術に何を期待しているのか」を現実的に判断できるようになるのです。
場合によっては、精神科治療を先行させたことで、「整形手術をしなくても、今の自分を愛せるようになった」と手術をやめる方もいらっしゃいます。
専門家同士の連携は、あなたの体と心を守るための「安全装置」なのです。
- 認知の歪みは美容整形手術では変わらない: 醜形恐怖症の苦しみの正体は「脳の捉え方」にあるため、パーツの形を変えても満足感は得られにくいのが現実です。
- 新たな囚われの誕生: 手術をきっかけに、修正箇所や別の部位への執着が強まり、整形手術のスパイラルに陥るリスクがあります。
- 専門家連携の重要性: 物理的な変化を求める前に、精神医学的なアプローチで「心の土台」を整えることが、結果として最も自分を救うことにつながります。
終わりに
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
自分の外見に対する強い不安や、そこから生まれる「確認したい」「隠したい」という衝動と闘う毎日は、本当に想像を絶するほど辛いものです。
でも、この記事を通じて、その苦しみから抜け出す道筋が少しでも見えたなら、これほどうれしいことはありません。
最後に、今回の記事のポイントを一緒に振り返ってみましょう。
- 醜形恐怖症は「脳の囚われ」: あなた自身の顔や体そのものが問題なのではなく、外見に対する「考え方の癖(認知の歪み)」と「行動のループ」が、苦しみを大きくしています。
- 認知行動療法(CBT)は、そのループを断ち切る手段: 暴露反応妨害法(ERP)などを通じて、不安に向き合い、確認行動を少しずつ減らしていくことで、「確認しなくても大丈夫」という安心感を育てていきます。
- 焦らず、小さな一歩から: 治療は魔法ではありません。一歩進んで二歩下がることもあるかもしれません。でも、セルフモニタリングや小さな行動の工夫を積み重ねることで、心と脳は確実に変わっていきます。
何より大切にしてほしいのは、あなたの価値は、鏡に映る姿や他人の評価だけで決まるものではないということです。
あなたは、今のままでも十分に尊い存在です。
もし、一人で抱えるのが限界だと感じたら、どうか専門家に頼ってください。
精神科医やカウンセラーは、あなたの味方です。
あなたが自分自身を、優しく受け入れられる日が来ることを、心から願っています。
監修医プロフィール
監修:小林玲美子 先生

【保有資格】 精神科専門医 / 精神保健指定医 / 日本医師会認定産業医
【経歴・実績】 東京大学法学部を卒業後、アパレル企業にて店舗責任者を経験。その後、医学の道へ転身し、国立大学医学部附属病院にて「ベスト研修医」を受賞。
大学病院、児童相談所、行政機関など幅広い現場で、延べ13,000名以上の診療・治療に従事。
現在は自身のクリニックで診療を行う傍ら、30社以上の顧問医・産業医として企業の健康経営を支援している。
実臨床と社会活動の両面から、「真に必要な治療と医療情報」を届けることを大切にし、女性のライフデザイン支援や企業向けキャリアアップ研修の講師としても活動。
【参考文献】
Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM-5-TR)
Obsessive-compulsive disorder and body dysmorphic disorder: treatment
Body Dysmorphic Disorder: Clinical Overview and Relationship to Obsessive-Compulsive Disorder
