私たちの「分」や「心の安定」は、実は脳の中で絶えず働く“神経伝達物質”のバランスによって大きく左右されています。
セロトニンが不足すると落ち込みやすくなったり、ドーパミンが過剰になるとイライラや不安が強まったりすることがあります。
こうした脳内の変化は、決して「性格の弱さ」ではなく、生理的なメカニズムによるものです。
この記事では、神経伝達物質がどのように精神の安定や精神疾患に関わっているのかを、専門的かつやさしい言葉で解説します。
神経伝達物質とは?脳内で心をつなぐメッセンジャー
私たちの「気分」や「意欲」「安心感」などは、目に見えないけれど確かに存在する“心のはたらき”です。
その根底には、脳の中で情報を伝える「神経伝達物質」と呼ばれる化学物質が関わっています。
この章では、神経伝達物質の仕組みと種類、そしてそのバランスの乱れが心の状態にどのような影響を与えるのかを、専門的な視点とともにわかりやすくご紹介します。
神経伝達物質の基本的な仕組み(ニューロン間の伝達)
脳や神経の中には「ニューロン」と呼ばれる神経細胞が約860億個以上あると言われています。
これらのニューロン同士がネットワークのようにつながり、情報をやり取りしていることで、私たちは考えたり、感情を抱いたり、身体を動かしたりすることができます。
しかし、ニューロン同士は直接つながっているわけではありません。
それぞれのニューロンの間には「シナプス」と呼ばれるごくわずかな隙間があり、この隙間を“橋渡し”して情報を伝えているのが「神経伝達物質」です。

神経伝達物質は、電気信号を受け取ったニューロンの末端(軸索終末)から分泌され、シナプス間隙に放出されます。
そして次のニューロンの受容体に結合することで、情報が次の細胞へと伝達されるのです。
この伝達の過程はほんの一瞬の出来事ですが、これがスムーズに行われることで、私たちの思考や感情、行動が滞りなく働くようになっています。
反対に、このプロセスに何らかの異常が起きると、感情のコントロールや思考のスムーズさが乱れ、精神疾患の一因になることがあります。
主要な神経伝達物質の種類と役割
神経伝達物質にはさまざまな種類がありますが、精神状態と特に深く関係する代表的なものを以下にご紹介します。
セロトニン:心の安定と幸福感に関わる
セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、気分を穏やかに保ったり、不安やイライラを和らげたりする働きを持っています。
主に脳幹部にある「縫線核」という部位で作られ、睡眠のリズムや痛みの感覚、食欲などにも関与します。
セロトニンの分泌が不足すると、抑うつ的な気分になったり、不眠や過食・拒食などの症状が出やすくなることがわかっています。
うつ病や不安障害の治療に使われるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は、このセロトニンの働きを高めることで、症状の軽減を図ります。
ドーパミン:意欲や報酬感、快楽の中枢
ドーパミンは、脳の「報酬系」と呼ばれる領域に関係し、「何かを達成した」「褒められた」「好きなことをした」ときに快感ややる気をもたらします。
モチベーションや集中力にも関与しており、学習や創造的活動とも深い関わりがあります。
一方で、ドーパミンの過剰は幻覚や妄想を引き起こすことがあり、統合失調症との関連が研究されています。
また、不足することで意欲の低下や楽しみの喪失などが起こり、うつ病やパーキンソン病とも関連します。
ノルアドレナリン:緊張・警戒・集中の信号
ノルアドレナリンは、危険を察知したときや集中が必要なときに分泌され、心拍数や血圧を高めて身体を「戦う・逃げる」モードに切り替える役割を果たします。
この物質はストレスと深く関係しており、ノルアドレナリンが過剰に働くと不安や焦燥感、イライラ感が強まる一方で、不足すると集中力や注意力の低下が見られます。ADHDやうつ病にも関与しており、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)はこの物質の働きを調整する薬です。
ドーパミン不足と精神疾患|無気力・うつ症状を防ぐメンタルケア完全ガイド
GABA・グルタミン酸:興奮と抑制のバランスをとる
GABA(γ-アミノ酪酸)は、脳の中で「ブレーキ」の役割を果たす抑制性神経伝達物質です。
過剰な興奮や不安を抑える作用があり、リラックスや睡眠にも関係します。
不足すると、不眠や不安感、焦燥感などが強まる可能性があります。
一方で、グルタミン酸は「アクセル」のように神経を活性化させる興奮性神経伝達物質です。
学習や記憶、感情反応に関わりますが、過剰になると神経細胞にダメージを与えることもあります。
統合失調症やうつ病との関連も指摘されており、GABAとグルタミン酸のバランスが崩れると、心の安定が損なわれることがあります。
バランスの乱れが心に与える影響
神経伝達物質は単独で働いているのではなく、互いに影響し合いながらバランスを保っています。
このバランスが崩れると、私たちの感情や行動にも大きな影響が及ぶのです。
たとえば、セロトニンとドーパミンはしばしば拮抗的に働いており、どちらかに偏りすぎると不安定な気分になりやすくなります。
また、GABAが不足していると、ノルアドレナリンやドーパミンが過剰に働き、不眠や焦燥感を引き起こすことがあります。
精神疾患の診断では、こうした神経伝達物質の異常が直接的な「原因」として断定されるわけではありませんが、多くの症状に影響している「関連因子」として理解されています。
DSM-5-TRやICD-11でも、脳機能や神経生理の変化を背景とした理解が重視されるようになっています。
つまり、神経伝達物質のバランスを整えることは、精神状態を安定させるための重要な手がかりになるのです。
- 神経伝達物質は脳内の情報伝達を担う重要な化学物質です
- セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン、GABAなどが精神の安定に関与しています
- バランスが崩れると、うつ病や不安障害、統合失調症などの症状に影響します
- 精神疾患は多因子的であり、神経伝達物質はその一因として重視されます
- 治療やセルフケアを通じてバランスを整えることが可能です
ここまでで、神経伝達物質がどのように脳内で働き、私たちの心に影響を与えるのかをご紹介しました。
次の章では、具体的にこれらの物質と「精神疾患」との関係について、各疾患別により詳しく解説していきます。
精神疾患と神経伝達物質の関係
うつ病とセロトニン・ノルアドレナリン
うつ病は、長期的な抑うつ気分、興味や喜びの喪失、思考の遅れ、睡眠・食欲の変化などを特徴とする疾患です。
研究では、セロトニンとノルアドレナリンの神経伝達が低下していることが、症状の一因である可能性が指摘されています。
セロトニンは心の安定や安心感をもたらし、ノルアドレナリンは注意力や意欲を高める役割を担います。
この2つの物質の活動が低下すると、「気分が落ち込む」「何をしても楽しくない」「集中できない」といった症状が現れやすくなるのです。
そのため、抗うつ薬の中でもSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)やSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)は、これらの物質がシナプス間で長く働けるようにし、伝達効率を改善することで症状を緩和します。
つまり、「神経伝達物質の流れを整える」ことが、うつ病の治療の大きな柱の一つとなっています。
不安障害とGABA・ノルアドレナリン
不安障害は、「過剰な心配」や「理由のない緊張」が長く続き、日常生活に支障をきたす状態を指します。
この背景には、抑制性神経伝達物質であるGABAの働きの低下と、ノルアドレナリンの過剰活性が関与していると考えられています。
GABAは脳の中で“ブレーキ”の役割を果たし、神経の興奮を鎮めてリラックス状態をつくる物質です。
このGABAの量が少ない、あるいは受容体の働きが鈍くなると、脳が過敏になり、ささいな刺激でも不安や恐怖を感じやすくなります。
一方でノルアドレナリンは“アクセル”の役割を持ち、過剰に分泌されると動悸・手汗・緊張などの身体症状を引き起こします。
抗不安薬や認知行動療法などの治療は、こうした過剰な神経反応を落ち着かせることを目的としています。
とくにGABAの作用を強めるベンゾジアゼピン系薬や、ノルアドレナリン系の調整を行う薬剤は、急性期の症状緩和に有効とされています。
統合失調症とドーパミン仮説
統合失調症は、幻覚・妄想・思考の混乱・意欲の低下などを特徴とする慢性の精神疾患です。
脳の神経伝達のうちドーパミンの異常が中心的な役割を果たすと考えられており、これは「ドーパミン仮説」として知られています。
この仮説では、脳の「報酬系」や「前頭前野」においてドーパミンが過剰に分泌されることで、外界からの刺激を過剰に意味づけし、幻覚や妄想といった症状が出現するとされています。
逆に、前頭前野でドーパミンが不足している場合には、意欲や思考の低下、社会的な引きこもりといった陰性症状が生じやすくなります。
抗精神病薬はドーパミン受容体を遮断することで、過剰なドーパミン活性を抑える働きを持ちます。
最近では、ドーパミンだけでなくセロトニンやグルタミン酸の異常も注目されており、統合失調症の理解はより多面的なものへと進化しています。
ADHDとドーパミン・ノルアドレナリンの関与
注意欠如・多動症(ADHD)は、注意の持続困難、衝動性、多動性などを特徴とする発達神経学的疾患です。
その背景には、前頭前野におけるドーパミンとノルアドレナリンの活動の低下が関係していると考えられています。
前頭前野は「集中」「計画」「感情の制御」などの高次機能を担う領域で、ここでの神経伝達がスムーズに行われないと、注意散漫や衝動的な行動が起こりやすくなります。
ドーパミンは「動機づけ」を高め、ノルアドレナリンは「集中」を維持する働きを持つため、この2つが適切に働くことが大切です。
ADHDの治療薬(メチルフェニデート、アトモキセチンなど)は、これらの神経伝達物質の働きを調整することで、集中力や自己制御を高める効果を発揮します。
また、薬物療法に加えて行動療法や環境調整を行うことで、神経の働きを補いながら生活の質を改善していくことができます。
神経伝達物質は「原因」ではなく「関係要因」—最新研究の視点から
ここまで見てきたように、多くの精神疾患では特定の神経伝達物質の異常が関与していることが知られています。
しかし、DSM‑5‑TRやICD‑11の診断基準においては、神経伝達物質の異常を「直接の原因」と断定してはいません。
なぜなら、精神疾患は生物学的・心理的・社会的要因が複雑に絡み合って発症する「多因子性」の病気だからです。
近年の脳科学では、神経伝達物質だけでなく、神経回路のネットワーク異常、免疫や炎症反応、遺伝的要素、ストレスによるホルモン系の影響など、多面的な視点から研究が進められています。
また、うつ病や統合失調症の一部では、脳内炎症やミクログリアの活性化など、細胞レベルの変化が関与していることもわかってきました。
このように、神経伝達物質はあくまで「こころの状態を映す一つの指標」であり、治療の焦点は単なる薬理的調整だけではなく、生活リズム、心理的支援、人とのつながりなど、全体的な回復プロセスに置かれるようになっています。
- うつ病ではセロトニン・ノルアドレナリンの働きが低下する傾向があります
- 不安障害ではGABAの抑制低下とノルアドレナリンの過剰活性が関与します
- 統合失調症はドーパミンの過剰・不足が症状に影響すると考えられています
- ADHDではドーパミン・ノルアドレナリンの活動低下が集中力や衝動制御に影響します
- 神経伝達物質は「原因」ではなく「関係要因」として理解することが重要です
神経伝達物質の働きと精神疾患との関係を理解することで、治療や支援の意味がより明確になります。
次の章では、これらの神経伝達物質をどのように整えていくのか――薬物療法や心理療法、生活習慣の改善など、具体的なアプローチを詳しく解説していきます。
精神を安定させるためのセルフケアと予防法
日々の心の揺れやストレス、不安に対して「どうすればもっと穏やかに過ごせるのか」と感じることはありませんか?
精神の安定は、薬や治療だけで得られるものではなく、日々の生活の中でも整えていくことができます。
この章では、神経伝達物質のバランスを支える視点から、精神の安定に役立つセルフケアと予防法をご紹介します。
特別なことではなく、小さな習慣や気づきの積み重ねが、心の回復力(レジリエンス)を育ててくれるはずです。
セロトニンを整える生活習慣(朝日・リズム・腸内環境)
セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、心の安定や安心感に深く関わる神経伝達物質です。
うつ病や不安障害などの精神疾患では、セロトニンの働きが低下していることが多く、日常生活の中でその分泌を促す工夫が重要です。
朝の光を浴びる
セロトニンの分泌は、朝の自然光によって活性化されます。
起床後30分以内にカーテンを開けて日光を浴びることで、セロトニン神経が刺激され、脳が「活動モード」に切り替わります。
光の刺激は、夜のメラトニン(睡眠ホルモン)生成にも影響するため、睡眠と覚醒のリズムを整える基盤にもなります。
規則的なリズム(運動・食事・睡眠)
セロトニン神経は、身体を一定のリズムで動かすことによって活性化されます。
ウォーキングや軽いジョギングなどのリズム運動は効果的です。
また、食事の時間や睡眠時間を一定に保つことで、自律神経とホルモン分泌の安定にもつながります。
腸内環境の改善
セロトニンの約90%は腸に存在するといわれています。
腸内細菌のバランスを整えることで、セロトニンの前駆体(トリプトファン)の吸収効率が高まり、脳内のセロトニンにも好影響が期待できます。
発酵食品や食物繊維、プレバイオティクス・プロバイオティクスを意識的に取り入れましょう。
ストレスを緩和する呼吸・マインドフルネス
不安やストレスが高まったとき、人は無意識に呼吸が浅くなり、交感神経が優位になります。
こうした状態が続くと、神経伝達物質の分泌バランスにも影響を与え、慢性的な緊張や不眠、不安感へとつながることがあります。
腹式呼吸・ゆっくりとした呼吸
ゆっくりとした腹式呼吸は、副交感神経を優位にし、心拍数を整え、脳の緊張を和らげる効果があります。
呼吸を「意識的に行う」こと自体が、注意を“今この瞬間”に戻す働きを持ち、不安を和らげてくれます。
マインドフルネスの実践
マインドフルネスとは、「今この瞬間の体験に意識を向ける」練習です。
過去や未来の心配から一時的に距離を置き、感情や思考に飲み込まれないようにする技法として、うつ病・不安障害の再発予防にも使われています。
マインドフルネスを実践すると、前頭前野の活動が高まり、扁桃体(恐怖・不安の中心)の過剰な反応が抑えられることが神経科学の研究でも示されています。
1日5分からでも構いません。
呼吸に意識を向ける、食べ物の味を丁寧に感じるなど、小さな実践から始めましょう。
思考の偏りを整える「感情ラベリング」や自己理解
精神の安定を保つためには、「何が起きたか」だけでなく、「それを自分がどう受け取ったか(認知)」に気づくことが大切です。
私たちの思考は、しばしば「自分はダメだ」「きっとうまくいかない」といった自動思考に支配されがちですが、こうした“思考のクセ”に気づき、整理することで、感情の波も穏やかになっていきます。
感情ラベリングとは
感情ラベリングとは、「自分の感情に名前をつける」心理技法です。
たとえば、「怒っている」だけでなく、「苛立ち」「失望」「寂しさ」など、より具体的な感情を言葉にすることで、自分の反応を客観的に捉えることができます。
これは扁桃体の過剰反応を抑制し、前頭前野の理性的な働きを促すことが研究で示されています。
感情をラベリングすることで深まる自己理解
「なぜ自分はこの場面で不安になるのか」「どういうときに緊張するのか」といった問いを立てることは、自己理解の第一歩です。
日記を書く、信頼できる人と話す、心理士に相談するなど、自分の内面を言葉にしていく過程は、心の整理と安定につながります。
専門的治療とセルフケアの併用で安定を保つ
セルフケアはとても大切ですが、すべてを一人で抱え込む必要はありません。
精神の安定には、専門的な治療とセルフケアを「車の両輪」として捉えることが大切です。
医師・カウンセラーと話すというセルフケア
医療機関での相談や、心理士との対話は「自分の心を整理する時間」として非常に有効です。
症状の強さや背景にある要因を見極め、神経伝達物質の観点からの治療方針を立てるだけでなく、心理的な支援や、家族への助言なども含めた包括的な支援が受けられます。
- セロトニンを整えるには、朝日・リズム・腸内環境が重要です。
- 呼吸やマインドフルネスは、不安やストレスを緩和し脳を落ち着かせます。
- 感情ラベリングや自己理解によって、思考の偏りを整えることができます。
- セルフケアは継続が大切ですが、限界を感じたら専門家との連携も視野に入れましょう。
- 専門的治療と日常のセルフケアを組み合わせることで、より安定した心の状態が育まれます。
まとめ
神経伝達物質は、脳と心の橋渡しをする大切な存在です。
うつ病、不安障害、統合失調症、ADHDなど、さまざまな精神疾患の背景には、これらの物質の働きやバランスの変化が深く関わっています。
しかし、神経伝達物質の乱れは「原因」ではなく「結果の一部」であり、心身のストレス・環境・遺伝など、複数の要素が絡み合って起こるものです。
だからこそ、治療には薬だけでなく、心理的サポートや生活習慣の見直しも欠かせません。
- 神経伝達物質は、脳内で心の安定や感情を調整する重要なメッセンジャー。
- 精神疾患では、セロトニン・ドーパミン・GABAなどのバランス変化が関与している。
- 薬物療法・心理療法・生活習慣改善の組み合わせが回復の鍵となる。
- 不調を「自分のせい」とせず、脳の仕組みを理解することで安心感を得られる。
- 継続的なセルフケアと専門家のサポートが、長期的な安定につながる。
心の状態は「努力不足」ではなく、脳のサインです。科学の理解を味方にしながら、自分自身をやさしく支えていきましょう。
<参考文献>
・The Human Brain in Numbers: A Linearly Scaled-up Primate Brain
・The dopamine hypothesis of schizophrenia: version III–the final common pathway
・SSRIs (Selective Serotonin Reuptake Inhibitors)
・Treatment of Circadian Rhythm Sleep–Wake Disorders
・Role of diet and its effects on the gut microbiome in the pathophysiology of mental disorders
